本日記_月の満ち欠け
どうも、ぬれこじです。
今回は佐藤正午さんの『月の満ち欠け』を読みました。
壮大な愛のお話です。
直木賞受賞作ということで手に取り、あらすじを知らないまま読み始めました。
いくつかの時間軸が交互に登場し、いったりきたり、あれ、この人は何の人だったかと考えながら読み進めていきました。
話の中盤頃、しだいにこの話の向かわんとしているところが分かってくると、そこからは早く読み進めて結末を知りたい衝動に駆られながらの読書でした。
自分の身近な人が突然死んでしまったら。
どのように受け入れたら良いのでしょう。
この話の感想や批評を見ていると、恋愛にフォーカスしたものが多いように感じましたが、私はこれは死の受け止め方、そして大切な人の死を経験した後の生きていき方を描いた小説なのだと感じました。
妻と娘を失った堅。尊敬する上司と自分のものになった妻を失った竜之介。愛する人を失った三角。
この話の登場人物は皆大切な誰かを失い、そしてそれぞれの受け止め方でそれを受け止めながら生きていきます。
死を受け入れることは恐らくとても難しいことです。
もう一度だけでも会いたい、そういう気持ちに毎日取りつかれ、居ても立っても居られない。日々のことが手につかない。どうしたら良いか分からない。
終わりの見えないような苦しみに心を奪われ、辛い気持ちになってしまう。
そんな苦しみから、宗教にはまる人もいるでしょう。占いにはまるひとも、新しい相手を見つける人も、仕事に熱中する人も。
では、方法を見つけて、愛する人にもう一度会おうとする人は?
私はこの小説自体はとても面白いと思いましたし、作者の佐藤正午さんの人柄にも惚れこみました。
しかし一方で、死して後、永遠の別れを告げて後に再会するということに関しては首をかしげたくなります。
我々はいつか必ず死にます。それは愛する人や周囲の人との永遠の別れを意味します。
言えなかったこと、できなかったこと、したかったこと。
全てこの世に残したまま、あの世へと旅立ちます。
それが常識ってもんじゃないですか。それが粋ってもんじゃないですか。
それを、もう一度会おうとして、会って。ああ、会えたねって。
そんな都合の良いことがあるかねって思いました。
でも自分だったら?
楽しかった思い出、暮らしに残る面影、大好きだった笑顔、言い出せない後悔。
愛する人への気持ちに取りつかれながら、あまりに苦しい日々を過ごすのに耐えられるのでしょうか。
もう一度逢いたい。
そう思うのは必然のように感じます。
そして本当に会えたら?
生まれ変わりを信じてしまうのかもしれませんね。
さてここからはこの本の残念だと思った部分について言及します。
195ページ、瑠璃さんの心情を三角が想像する場面について、そこがこの物語を進めていくうえで大変重要な部分だと思うのですが、いまいち薄いのではないかと思いました。
瑠璃さんの痛切な愛。これをもっともっと描いてもらえたら。ラストシーンはもっともっと響くと思いますし、後半部分がもっともっと輝くと思います。
不倫は悪だという考えの人がいます。私はその考えを否定しませんしどちらかと言えばその考えに近いのかもしれません。なので不倫状態になってまで三角を愛し輪廻転生を繰り返す瑠璃の気持ちを、もっと丁寧に描かなければ瑠璃が薄っぺらくやはり不倫は悪だという考えを強めることになってしまうと思いました。瑠璃の切なる気持ち。ここをもっと緻密に描写してもらえたら良かったと思います。
こちらの小説は今年の冬に映画化されるということで映画のホームページを見てみると、なんと主演大泉洋、瑠璃役に有村架純じゃないですか。
ううん、どんな映画になっているのか楽しみで、確認しに行くしかなさそうですね。