本日記_そして、バトンは渡された
お久しぶりです、ぬれこじです。
今日は今まで読み貯めていた分を一気に書いていこうと思います。
まずは瀬尾まいこさんで『そして、バトンは渡された』。
複雑な家庭環境で育つ女性を描いた感動作です。
瀬尾さんの作品はどれも「形に囚われない」ということがテーマとして強く打ち出されているので、読んでいると自分の抱えている「形による悩み」がとてもちっぽけなことのように思えてきます。
私はよくTwitterやInstagramを見るのですが、そこはいくらでも情報が飛び交っている場ということもあり、有名になりたい発信者の方が目立つ言葉で「これが正解!!」というようなことを発信しています。
そういう「正解」って時に自分を縛ってしまうんじゃないかと思います。
「こうでなければいけない」とか「こうでないから幸せでない」なんてこと、実はこの世にないんじゃないかと、瀬尾さんの本を読むと思えるのです。
自分の周りにいる人を大切に思う気持ち。
これがあれば世界はもっともっと優しくなれると感じさせられる本でした。
映画を観てみたくなった!
本を読めなくなる時
本を読めなくなる時というのは、どんなに自分では普通でいるつもりでも、身体や心が限界を迎えている時なのだと思います。
昨日は全てが限界で、朝起きても何もすることが出来ませんでした。
それで1日中布団の上で寝続けながら、今後の人生どうしたら良いんだろう、みたいな、考えても仕方のないようなことばかり考えていました。
本当に辛い、と思っていた時、Twitterで昔からFFだった方がスペースを開いてくださって、お話しすることができました。
そこで、今考えていること、辛いこと、楽しいこと、やりたいこと、人生のこと、恋愛のこと、などなど沢山話すことができました。
大分気が楽になりました。
人生について、突然不安に感じる時ってありますよね。
私の目下の悩みは大きく3つあります。
1.教職について
教員免許を取得しようと思って単位だけ揃えてきたのですが、どうしても教育実習に行く未来が自分の中で見えませんでした。授業をする、ということが自分にとってストレスになると気づいていました。だけど、折角取り始めたものだし…とかここでやめるのはもったいないし…とか、どうせなら資格持っておいた方が良いのでは…というような考えから今まで決断を先延ばしにしていました。
でも、将来資格を持っているからといって教師になるというのは今のところ考えられないんですよね。
それなら今無理してキャパを超えるようなことをせず、というのが今の考えです。
昨日お話をして、「それなら取らなくてもよさそうに感じるけどね。」と言っていただいたのが救いになりました。
今まで、友人や彼氏の目を気にして「今ここでやめるって言いづらい」と思っていたのですが、「別に取らなくてもいいんじゃない?」と言われるととても気が楽になりました。
これを逃げだと思ってしまうので、今の私の精神状態はあまり良くないのかもしれません。
とりあえず、教職はやめて、司書資格取得のため単位を揃えていこうと思います。
2.就職について
出版業界を目指しています。しかし出版は狭き門で、そこに絞るのは難しいのではという気持ちが大きいです。
その上で、福利厚生やお給料を考えて商社や銀行を見ていたのですが、どこも狭き門で大変そう…と委縮してしまっています。
昨日話していて自分の中で整理がついたこととしては、出版と大手に出しつつ福岡の地銀にも出してみて、受かった方に行くというものです。これなら良い精神状態で就活できそうだなと思っています。
3.恋愛について
彼氏と別れてしばらく経ちます。私はこの間かなり精神状態が悪くなり辛いことばかりでした。
一方で彼との今までの生活を思い返すと、やっぱり楽しかったよなあと思う部分が多く、今後良い距離感でやっていけたら良いんじゃないかと思っています。
彼氏、という存在がほとんど途切れたことがなかったため現在一人で生きることが何年ぶりか、という感じです。なので一人は辛い、こわい、寂しい、と思ってしまうわけです。
それを悪いことだと思っていたのですが、案外悪いことでもない気もしてくるのです。
誰かと一緒に生きたい、というのはそれはそれでありです。
ただ、島耕作を急に読めなくなったことで気づいたのですが、私は今までその時その時付き合っている人を通して世界を見ていたのではないかということです。
私はとても他人の影響を受けやすい体質なので、彼が良いと言っているものには自分もしっかりはまりますし、彼の生活リズム、考え方、生き方にとても左右されます。
なので自分軸で生きる必要はあると思っています。
自分ひとりで生きると考えて、何がしたいのか、どうなりたいのか。
それを考えていきたいと思います。
本日記_黒牢城
どうも、ぬれこじです。
今日は米澤穂信さんで『黒牢城』。
ずーーーーーーーっと気になっていた直木賞受賞作です。本屋で何度手に取り、文庫化まで待つぞ…と自分に言い聞かせてきたことか。しかし待てないのが人間、帰省のお供に、と久しぶりに本屋で購入しました。
帯に「直木賞受賞作」「本屋大賞ノミネート」の文字が踊り、期待感とハードルをしっかりと上げられた状態で読むのは良いことか悪いことか分かりかねますね。
時代物ミステリの本作、普段時代物を読まない私にとっては少々とっつきにくい部分もありました。登場人物が多いですね…。ノートに整理しながら読んでいきました。
大きく4章に分かれ、それぞれに1つ謎が仕掛けられています。ここは米澤さんらしさを感じさせますね。
しかし物語を貫く2つの思惑があり、それが回収される瞬間は見物でした。
残念だったのはラストシーンですかね。
米澤さんは謎解きの場面の引っ張り方はお上手だと思うのですが、ラストの心情描写は少々あっさりしすぎているような印象でした。
しかし何でしょう、米澤作品というのは「他のものも読んでみよう」という気を強烈に引き起こさせる力を持っていますね。
悔しいような気もしますが、『王とサーカス』はせめて読んでみるしかなさそうです。
本日記_月の満ち欠け
どうも、ぬれこじです。
今回は佐藤正午さんの『月の満ち欠け』を読みました。
壮大な愛のお話です。
直木賞受賞作ということで手に取り、あらすじを知らないまま読み始めました。
いくつかの時間軸が交互に登場し、いったりきたり、あれ、この人は何の人だったかと考えながら読み進めていきました。
話の中盤頃、しだいにこの話の向かわんとしているところが分かってくると、そこからは早く読み進めて結末を知りたい衝動に駆られながらの読書でした。
自分の身近な人が突然死んでしまったら。
どのように受け入れたら良いのでしょう。
この話の感想や批評を見ていると、恋愛にフォーカスしたものが多いように感じましたが、私はこれは死の受け止め方、そして大切な人の死を経験した後の生きていき方を描いた小説なのだと感じました。
妻と娘を失った堅。尊敬する上司と自分のものになった妻を失った竜之介。愛する人を失った三角。
この話の登場人物は皆大切な誰かを失い、そしてそれぞれの受け止め方でそれを受け止めながら生きていきます。
死を受け入れることは恐らくとても難しいことです。
もう一度だけでも会いたい、そういう気持ちに毎日取りつかれ、居ても立っても居られない。日々のことが手につかない。どうしたら良いか分からない。
終わりの見えないような苦しみに心を奪われ、辛い気持ちになってしまう。
そんな苦しみから、宗教にはまる人もいるでしょう。占いにはまるひとも、新しい相手を見つける人も、仕事に熱中する人も。
では、方法を見つけて、愛する人にもう一度会おうとする人は?
私はこの小説自体はとても面白いと思いましたし、作者の佐藤正午さんの人柄にも惚れこみました。
しかし一方で、死して後、永遠の別れを告げて後に再会するということに関しては首をかしげたくなります。
我々はいつか必ず死にます。それは愛する人や周囲の人との永遠の別れを意味します。
言えなかったこと、できなかったこと、したかったこと。
全てこの世に残したまま、あの世へと旅立ちます。
それが常識ってもんじゃないですか。それが粋ってもんじゃないですか。
それを、もう一度会おうとして、会って。ああ、会えたねって。
そんな都合の良いことがあるかねって思いました。
でも自分だったら?
楽しかった思い出、暮らしに残る面影、大好きだった笑顔、言い出せない後悔。
愛する人への気持ちに取りつかれながら、あまりに苦しい日々を過ごすのに耐えられるのでしょうか。
もう一度逢いたい。
そう思うのは必然のように感じます。
そして本当に会えたら?
生まれ変わりを信じてしまうのかもしれませんね。
さてここからはこの本の残念だと思った部分について言及します。
195ページ、瑠璃さんの心情を三角が想像する場面について、そこがこの物語を進めていくうえで大変重要な部分だと思うのですが、いまいち薄いのではないかと思いました。
瑠璃さんの痛切な愛。これをもっともっと描いてもらえたら。ラストシーンはもっともっと響くと思いますし、後半部分がもっともっと輝くと思います。
不倫は悪だという考えの人がいます。私はその考えを否定しませんしどちらかと言えばその考えに近いのかもしれません。なので不倫状態になってまで三角を愛し輪廻転生を繰り返す瑠璃の気持ちを、もっと丁寧に描かなければ瑠璃が薄っぺらくやはり不倫は悪だという考えを強めることになってしまうと思いました。瑠璃の切なる気持ち。ここをもっと緻密に描写してもらえたら良かったと思います。
こちらの小説は今年の冬に映画化されるということで映画のホームページを見てみると、なんと主演大泉洋、瑠璃役に有村架純じゃないですか。
ううん、どんな映画になっているのか楽しみで、確認しに行くしかなさそうですね。
アップデートする人生
どうも、ぬれこじです。
豊かさについて書きます。
私が最近考える豊かさとは、「他者と関わって感情を揺り動かされること」だと思います。
感情の動きは怒りでも悲しみでも良いと思います。なんてことない平凡な日常に波が起こり自分がかき乱されること、それが私にとっては「豊かなこと」です。
もう少し言うと、他者により自分が揺り動かされることで自分の精神に成長が生まれます。成長と言うと少し語弊があると思うので言い換えると「アップデート」が起こるのです。この「アップデート」こそ、豊かさだと思います。
長い人生の中で結局は「自分自身が何かを感じる」「考える」ということが一番大きな時間を占めると思うのです。その膨大な時間で、常に考えをアップデートし続けたら毎秒新鮮で、驚きに満ち、喜びに満ちた状態になると思います。
これが、「豊かなこと」だと思います。
先日『おらおらでひとりいぐも』という小説を読みとても感動しました。(本日記にも書いた通りです。)
それで、昨日の夜サークルの先輩方と散歩している時に感動を伝えようと話していてこの考えが浮かんできたわけです。
他者の死をこのように受け止めることができるのか。という衝撃は数日たった今でも自分の中から消えることはありません。
人生万事捉え方。と思うようになりました。
本日記_おらおらでひとりいぐも
どうも、ぬれこじです。
今日は若竹千佐子さんで、『おらおらでひとりいぐも』を読みました。
実は今ちょうど読んでいる最中なのですが、深い感動を覚えたので途中でパソコンを開いてしまいました。
印象に残った文章、少し長いのですが引用します。
愛だの恋だのおらには借り物の言葉だ。そんな言葉で言いたくない。周造は惚れだ男だった。惚れぬいだ男だった。それでも周造の死に一点の喜びがあった。おらは独りで生きでみたがったのす。(中略)それがおらだ。(中略)それでもおらは自分を責めね。(中略)周造とおらは今でも繋がっている。はがらいなんだ。周造のはがらい、それから、その向ごうに透かして見える大っきなもののはがらい。それが周造の死を受け入れるためにおらが見つけた、意味だのす。
驚きました。作者の若竹さんは55歳から小説家を志し、63歳でデビューされた比較的高齢な作家さんということを前情報として知っていたからでしょうか。人の死に、このような受け止め方があるとは。こんなに前向きに、愛を持って、自分を肯定して、こんなに人間深い受け止め方があるんですね。若竹さん自身がその深い人生の中でたどり着いた境地なのでしょう。
さて。(読了)
この小説の中では東北弁が多用されています。私は福岡出身で多少方言を使うので、主人公桃子さんの方言に対する心情に共感することが出来ました。どこか田舎臭いような手放したいような、でもこれを使っていないと自分でないような。
そんな中に現れた堂々と方言を使い自分を貫く周造。
惚れぬいた桃子さん。
惚れるっていうのは強い力です。惚れちゃったらしょうがないこともあります。
惚れぬいた人生、それはとてもとても尊く、素敵なものだと思います。
その上で、先述の引用部分のような死の受け止め方。
自分の若さは自覚しているつもりでしたが、若竹さんの考えをどんと提示されて、改めて未熟さ、まだまだ新しい考え方を知り成長できるのだという希望を同時に感じ取りました。
愛の話でもあり、人生の話でもあり、そんな壮大な話のようでいて、日常の話でもある。
なんとも不思議な小説だと思います。
どうも最近「泣ける小説」から離れるようになっていて、それはどこか読者側が読了後に何かを得ていないといけないような、なにか成長して、その小説から学ばないといけないような圧迫感を抱くからなんですよね。
でもこの小説は何事も強要しません。
何かを学んでも良い、泣いても良い、感動しても良い。何も考えず読んでも良い、読んだ後に考えても良い。途中でやめても良い、何度も読み返しても良い。
そんな暖かさをひしひしと感じました。
自分より若い世代の活躍にひやっとさせられるというような経験をする年になりました。
でも、長い人生、日々を重ねてこそ自分の中に得られることがあるんですよね。
人と比べるのでなく、そこに充実感と満足感を得られたら、人生は少し好転するのではないか、とそう思いました。
やはり読書は面白いですね。